8月6日の8時15分と8月9日午前11時2分に祈りを捧げる
And also pray for the pain that has not ended even after the end of the war.
戦争について真剣に考える【01】の続きです。
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この内容だけで、この世が成り立っているのでもなく様々な立場や視点も承知の上で綴っています。
これを伝えたい相手は、
あらゆる物事を他人事として処理することで、無自覚に自身を拒否し続け傷んでいる、あなた に向けたものなのかもしれません。
「もっと頑張らないといけない?」と涙が溢れそうになる人々に向けたものではありません。
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戦争から生まれた傷を感じ、今も尚、世界のどこかで、無惨に散りと化していく 命 を感じる。
「あたかも美しい」だけでは構成されていない 命の循環 を深く感じたとき、
あなたは「自分を愛し満たすだけで良い」「楽しいことだけをやっていればいい」と、
本当にそう思えるだろうか?
“自分を愛し満たしてさえいれば、勝手に人々に伝わっていく”
その意見に対するわたしの答えは”いいえ”だった。
正しくは「自分を愛し満たすことに執着する」に対しての “いいえ” だ。
自分を満たすなど、入り口に過ぎない。
その先には、続きがある。
とことん自分を覗いた先で出会うのは、
自分とその奥先で繋がっている、人々と世界と全体性であった。
溢れるほどの自己愛が作れたとしたのならば、
自分の内側の先で繋がっている” 私たち=社会や世界の傷み”について、何も感じない訳なかろうが。
どこかで戦争が起きているのであれば、わたしという個人の中にもまた、その争いに関連する傷が潜んでいる。
戦争やそれを起こす人を悪とみなし、理解することなく攻撃するか、
見たくないから取り敢えず無視するか。
楽しんでいれば伝わって行くという考えだけに依存して、そこだけで構成される、小さく脆い楽園にすがるか。
そうして重くも軽くも否定して、
自分の中から全体の傷みや苦しみを排除すると決めることは、自分自身を排除し否定することになる。
そういう時があっても良い。
でも、”いつまでもは続かない”。
もしあなたが自身を愛し満たし、本当に人生を謳歌できたとして
それ以降、動く気がないのならば、
それは愛し満たす理由が自分だけに向けられたものであり、滞り、循環性を失うことだろう。
しかし、
自身の奥先で見えてきた全体の、歓びだけでなく傷みを伴う現実をも直視し、そこで感じた想いを持って”実際に全体へと働きかけること”が出来たなら、
その命の循環は、とめどなく旋回して進み、
成長することへと繋がるだろう。
その想いは、その祈りは、今すぐにとは行かなくとも、時空を越えた遠い遠い未来へと紡がれる。
歴史を見て、世界を見渡して、死に物狂いで生きている(生きてきた)人々を目の前にして
「自分を愛し満たしていたら、全て上手くいく。」と言い切れる人が、どれほどいるだろう?
そして、
あなたが命懸けの現実を今、正に体験しているとして
「自分を愛し満たしていたら、この傷も苦しみも無くなっていくよ。」と、嘘なく自身に言える人は、どれほどいるだろう?
どう考え感じても、
それは「痛かろう。」「辛かろう。」「苦しかろう。」よ。
全体の そこ に寄り添えないのであれば、
なんのための、自己愛か。
なんのために育む、愛か。
自身が傷んだことを、
この世界がまだ傷んでいることを、忘れたか?
感じられなくなったか?
どうやら人は、満たされた瞬間のその先で、
存分に履き違えてしまう生き物らしい。
自分への戒めも込めて、そう思う。
否定して、なかったことにして
問わぬ人を見過ごす訳にはいかない。
なぜなら見過ごす人もまた”傷みを持つわたし”であるからだ。
目を瞑り、あなたが思い描ける
その”豊かな世界”を育てて行くためには、
溢れ出てくる個人の傷みや苦しみを越えた先で辿り着く、
全体の傷みや苦しみの道を、抜けていかねばならない。
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