【続・終わり】8月6日の8時15分と8月9日午前11時2分に祈りを捧げる
And also pray for the pain that has not ended even after the end of the war.
戦争について考える【02】の続き。
この投稿が最後です。
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18歳から広島を出て理解したのは、8月6日に祈りを捧げるサイレンが、ほとんどの地域で鳴らないこと。
そして、黙祷の習慣がないこと。
いま広島に住んでいないからこそ分かる。
広島や長崎にとって痛烈な歴史も、遠く離れてしまえば忘れ去られ、なんの後ろ髪も引かない現実となること。
それは広島に限らず、
世界のどこかで今も尚起きている争いを、自らが自発的に感じては想像し、気づきに行こうとせねば、それらは “感じ取れない傷み” なのだ。
その気づきに行こうとする教育や、
気づいてもブレない根の力強さを養う方法を教えてくれる教育が
この今の社会には、ないように思う。
人は忘れる生き物だが、私たちがこのまま、自身と全体の意識の中にまだ在る”傷みや苦しみ”を忘れ、感じ取ることが出来なくなってしまえば、
何度でも、無惨な争いは起き続ける。
そして、何度でも悲しみと苦しみが世界を襲う。
人々は、傷みをなかったことにしたい。
人々は、早く忘れてしまいたいと感じている。
だけど、忘れて楽しく過ごしても
結局、なくならなかっただろう?
悼み弔うこと。楽しく幸せに過ごすこと。
私たちはどちらも出来るのに、楽しく過ごすだけに特化すれば、歴史が繰り返されるだけである。
何故ならば、人々が恐れ無視し続けた故の、
癒えていない全体の傷みがあるからだ。
過去から学び、温故知新して未来を紡ぐ。
それによって「豊かな未来が在る」に変わり
様々な可能性の種が「芽生える」に変わる。
私たちは自身を満たすことも出来るし、
心から傷つき過ちに悔いることも出来る。
本当に自分というものが確固たるものになったのならば、恐れを持っていたとしても
いつも、どちらもが出来るだろう。
もし、あなたがあなたを満たすことが出来ている。既にそう感じるのならば、
ここから先で、どちらをもやりなさい。
自己愛を満たした上で、全体へと働きかけ
全体の傷みと苦しみを感じ知り
それでもそれでもと働きかけ
もしそこで傷つき過ぎたなら、
その時こそ、
既に学んだ自己愛の回復力で癒し
もう一度 全体へと、
その自己愛を渡しに行く。
目の前に苦しんでいる者がいるのならば、
それは、あなたの苦しみでもある。
「自己愛によって完結する」という まやかし に執着せず、全体に蔓延っているあなたの苦しみを、
どうか、見つめてやれ。
強さとは、どんな自分=全体 からも
目を逸らさず未来を紡ぐこと。
優しさとは、
どんな 自分=全体 をも受け止め
共に生きようとすること。
そんな一人一人の強さと優しさ、そして「誇り」が、それぞれの自身へと芽生えるように。
わたしは今日も目を瞑り祈り
そして「こんな未来を作れたなら」と想像したなら
怖くとも瞳を開けて、
現実へと働きかけていく。
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